鷲田清一 『京都の平熱』

 京都で生まれ育った哲学者が、市バス206系統(駅から東に行って東山通を北に、そっから北大路で西に曲がって、千本から南行って大宮通から駅に戻ってくる、京都の中心部を囲う長方形型の経路)に沿って、各スポット("異世界への孔")に根付く思い出話から、哲学者らしいフックに対する反応で"京都"の特色のなんたるかを語る。京都、お好きなんですなあ、という感じである。確かに、いっとき千本今出川の病院に通ってた時にあの辺散歩したりすると、あの生活感にぐっときたりするものはあったんだが、中から見るとそんな感じか、と思う。よく京都の着倒れを舞妓と仏僧の両極端の狭間として説明づけてしまうなんて話も面白い。