俵万智 『短歌をよむ』

 3部構成の短歌論。現代的な感性を冴え渡らせて日常における"発見"を詠むこの作者らしく、短歌というフォーマットを鑑賞し詠むにあたって普通の人が持つ当然の疑問をわかりやすく解決していく。
 第一章『短歌を読む』はまずは鑑賞。古い歌なども引いてきて、詠んだ時の感情やうたごころ、和歌としての技巧、口に出して読んだ時の歌としてのリズムなどの効果や技術なんかを解説していく。個人的には「枕詞や序詞って何なの」っていうのがすごくあったので、それを現代の、特に使う側から見た解説はとても興味深かったですかね。少なくとも存在意義というか効果がわかったぶんだけ少しは親しみが持てる技法になったかと。あと、これはこの本全編に及ぶことだけど、音、リズムというのをかなり重要視した解説をするので、どうにも出てくる歌を口ずさみながら読みたくなってしまうので、この本を楽しもうとすればするほど、あんまり外出時に携えて外で読める本ではなくなってしまうかも。
 第二章『短歌を詠む』は実際に自分で歌を詠む時の解説。それこそ有名な『サラダ記念日』など著者の作品を具体的に例に出し、その切り取るべき日常を発見してから推敲に推敲を重ね実際の歌になるまでの具体的な心の動きをかなり赤裸々に再現して、どういうところに目が向いているかというのを解説している。出てくる歌はどこかで聞いたことのあるものも多くて、本当に日常であったもの、心の動きが、美しい形に結晶化していく様は、別に短歌を作ったりしない自分が読んでも面白い。
 第三章『短歌を考える』は、現代の代表的な歌人となった自分や他の現代歌人が、若さや青春の感性で歌ってから次の人間としての段階、発展について考えを巡らせたもの。正岡子規の『歌よみに与ふる書』の一節や、短歌を詠むことをやめてしまった現代歌人の多さに、現代を「素人の時代」と位置づけて、その中でプロの歌人であることの困難と自分について考えている。陳腐な言い方をすればこの「素人の時代」というのは今やUGCとかブログとかあらゆる芸術に渡ろうとしているようにも見えるし(まあ、この本を書かれた時の短歌において技術の巧拙が歌の巧拙に一致する可能性もあったのに対して、現在の他の分野での乱発にそんな可能性があるのかと言われると)、そういう意味ではあらゆるもののプロ論としても読めるのかもだし、もちろん俵万智という一人の現存した人間の論考としても。

短歌をよむ (岩波新書)

短歌をよむ (岩波新書)