岡倉覚三 『茶の本』

著者の名前は岡倉天心の方の名前でご存知の方も多いでしょうね。がっちり茶道の本というわけでなく、茶や茶室に根付いた東洋の思想を説く本で、原著は英文で西洋向きに書かれているのを和訳して日本人が読んでいるという構図。おまんら西洋人はアジアに文化がないと思ってるだろうけどな、みたいな挑発的な書き出しから、道教禅宗の思想を展開していきます。この、思想を茶という実用的なものを通して説く、というのは、日本には純粋な思想家がいない、何故ならば日本人の思想は実用物の中に既に組み込まれているものとして発展してきたからだ、という説を思い出します。どこで読んだんだったかな。

最近はスポーツなんかでも「ブシドー」とか「大和魂」を、欧米に進出していく日本人に対する称号みたいな感じで使用されることが多々ありますが、日本人の思想はそんな攻撃的なものばかりではないと。そして、そういったものと真逆の、「生の術」が盛り込まれた茶というものを通した日本文化というのは何となく、欧米文化に対して恥じるべきものとされてきた側面があるように思います。「日本人はあいまいだ」だとか。これなどを、西洋の絶対主義に対する、禅宗相対主義の重視ともとれるんじゃないか、という言い方もできるかなと。
この本が書かれた明治終わりだとまだこの本のように気概を持って堂々と、正統な日本文化を主張する人もいたんでしょうが、今はむしろ日本人こそがこの本を読むべきなのかもしれない、とも思います。この本を、日本人としての立場から共感したい、という目的で読むと恐らく失敗するでしょうね。少なくとも自分は失敗しました。感想ももっと謙虚に書けるようになりたいものです。

茶の本 (岩波文庫)