池内紀 『となりのカフカ』

同著者の『カフカの生涯』に対する入門書、と著者自ら位置づけている新書。序書では「カフカという作家、またカフカの小説はまだ何も知らない。しかし、名前は聞いたことがあり、顔写真のようなものを見たこともあって、難しい小説を書いたといったことは、なんとなくイメージにある。(改行)そんな人のための本である。〜」とあるが、『変身』や『城』『審判』の筋書き辺りは知ってる状態で読んだほうがいい本だと思う。たぶんその方がこの本でイメージしてるような、カフカに対する「先入観」を持っていけると思う。ちなみに「顔写真のようなもの」ってのは新潮文庫の表紙についてるやつ、だと思う。

んでその「先入観」をどうするか、というと、カフカの生活というのをリアルにルポルタージュすることで、「フランツ・カフカ」というのが本当に当時の社会に実在した普通の人間だった、ということを様々な角度から「説得」するんですよ。それがなんぼのもんじゃい、と思うかもしれないけれど、これはカフカを読み始めた初心者にとってはたぶん物凄く効果的なんだよね。いや、俺だけだったのかもしれないけど、カフカの意味のわからない小説を読むと、どうしてもアレもコレもこういう意味があってこれは何の隠喩で、っていうのをずっと考えたくなる。俺の個人的な経験では、大学はいりたての頃に文学部の1年生用のゼミで『審判』を読んだときに、俺は「これは実存に対する〜」とか「キリスト教的原罪論が〜」っていう発表をしたんだけど、他の人が「保険会社に勤めてたカフカが実際の裁判制度に腹たてて書いた風刺小説だ」っていう発表をしたわけ。そりゃそういう説があることも知ってたけど、でも俺のカフカ様がそんな世俗的な小説を書くわけがないもん! って思ってた。んー、で、この本を読むとカフカさんめっちゃ普通なんだよね。サラリーマンだし、あと手紙でストーカー紛いのことしてるし。それは普通じゃないにしても。病弱で暗鬱たる気持ちを抱えたまま、父に対する反抗の気持ちを長々と手紙にしたためたり、理不尽な小説を書いたりする、いかにもブンガクな青年、という一面だけではない。もしかしたら裁判制度に腹たてて小説書いてたのかもしれない。

というわけでカフカに対する文学的幻想を抱いちゃってる人はもしかして大ダメージかもしれない。少なくとも小説の解釈がまるっと変わっちゃうかもしれない。そんな本。ちょっと人物像が知れただけで解釈が混乱しちゃうようなミステリアスな雰囲気もカフカの魅力なんだけどね。

となりのカフカ (光文社新書)