ホフスタッター 『ゲーデル・エッシャー・バッハ』

 ゲーデル不完全性定理の自己言及性、エッシャーの騙し絵の「自分の立ち位置をずらしていったら何時の間にかおかしくなってる感じ」、バッハのフーガの「元の主旋律を保ちながら形を変えていくけど最終的には同じ形で戻ってきたりな感じ」を主な比喩として振り回しながら、言葉遊びなんかを交えて、AIの自己認識なんかに踏み込んでいく本。まあゲーデルを比喩に使うとかそんじょそこらの本でやると、全然違う話にゲーデルの名前だけ出して「それでなんかを証明した気になってるわけ?」って思うものとか多いわけだけど、そこは物理学で博士号もとっている多才な著者のこと、ちゃんと科学の基本であるところの理論の射程をちゃんと踏まえて、あくまで比喩は比喩として美しさを添えるだけのものとなっている。まあ、その「本としての美しさ」だよねえ。自己言及をテーマとして扱う本の形式自体が自己言及になっている、つまり、本当に多様な分野から比喩を引っ張ってきて、その集合の持つ相似性の形(比喩そのものより一段上のメタレベルで見るということ)としての美しさを見せてみたり、エッシャーの騙し絵やバッハのフーガの「元のところに戻ってきたつもりが何時の間にかズレてる」というのを文中の対話でやってみせるなんていう、本としてのパズル的な構造の美しさだけが問題の本で、その中身の文章で何かを主張するものではない。その著者のだだらな話を追う思考過程そのものが刺激で、読む前と読む前で元のところに戻ってきてるけど、途中で経た知的昂奮のぶんだけちょっとズレてる、そんなロードムービーみたいな本、なんですよ。よくわかんない感想になってると思うけど。

ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版

ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版