結城浩 『数学ガール ゲーデルの不完全性定理』

 ラノベ風のストーリーも展開しながら中身はガチの数学をやる人気シリーズ。だいたい年1くらいのペースで出てて、この3冊目のテーマはゲーデル不完全性定理。2年前に1冊目を読んだ時に感想で"もう1つ上の世代向けにも一冊書いてほしいくらいだなあ。ε-δ論法で一章まるまる使っちゃうような奴を。"なんて書いたけどそれが現前してたり、あとは実数の完備性なんかも触っていたりで、使っている数学はわりとこれまでの2冊よりちょっと難易度高めかな、という印象。この辺やったのは大学入ってすぐだったけど、大学相当の数学というよりは数学をやるための言語体系の確立みたいなとこがあって、その点で「理学部のための数学」というべきかも。うちとこの理学部の2次試験には国語があるんだけど(現役時の俺の一番の得意科目だった)、それってやっぱり数学屋さんからの「数式が表しているものをちゃんと日本語で表現できる能力」っていう要望なんだよねー。……国語が武器だった割に俺の話には脈絡がないね?
 えー、で、ゲーデル不完全性定理と言えば岩波文庫の青帯にわりと新しめのものとして入っていてるんだけど(読んだ当時の俺の感想はこれ)、300P程度のうちゲーデルの原論文の訳が占める紙幅は60Pくらい(ひたすら定義っつうかコーディングばっかやってた)で、あとの残りは数学史的な観点から見たヒルベルト・プログラムに対する訳者の解説だったんだよね。それは数学の話に徹してこの定理の射程が数学に留まることを示す意図がかなりあったと思うんだけど、まあやっぱりそもそもが岩波文庫に数学の論文が収められる意味も含めて、この定理は哲学的な意味を持たされてしまいがち。で、翻ってこの『数学ガール』でゲーデル不完全性定理を扱うに至っては、そのメタ数学的な視点を植え付けるために序盤から数学的帰納法に始まりカントール対角線論法などの色んな"論理"を出して、あくまでこれが数学の対象として数学を選んでいるんだという理解を自然にしっかり入れてくる良構成になっているかと。
 肝心のゲーデル不完全性定理の証明の解説も、間の取り方とか含めて概念図とか随所に工夫があって、少なくとも最後まで齧り付いてみようと思える。ガチガチの教科書もそういう工夫は普通にあって良いのにね。えっと、素数とかの話だった前2冊に比べると、どっちかというと今回は使う「言葉」の話が多くて、若干「頁をめくる前にそこら辺の筆記用具で計算して遊んでみる」ことが出来るとこは少なかったかも知れないけど(自然数のペアが<重なる>とこではミルカさんの解説読む前に斜めの線いっぱい書いて「どんだけ左上に行ったかパワーでidentify→(-1,1)への射影」は出来た。俺偉い)、知らない話が多かったという点では今回が一番面白かったかなー。

数学ガール/ゲーデルの不完全性定理 (数学ガールシリーズ 3)

数学ガール/ゲーデルの不完全性定理 (数学ガールシリーズ 3)