151218

  • 承諾書のメールの最後3通目が返ってきて目処が付きそうである。あとはまだ空けてる謝辞にちょうポエットな文章を書くだけかな。そこだけ日本語でいけるかな。
  • 学校で後輩の計算の話を聞いて一緒にホワイトボードでうんうん考えたり、計算機室のメンテのせいで調子悪くなったメーリスの修正の手伝いしたり(あちこち弄りながら試してたら、結局perlの1行目で指定するpathが変わってたのだった)、後輩のセミナー練習に付き合ったりしている。みんな忙しくて結構である。
  • 研究室に置いてある計算ノートを6年分どんどん裁断してはスキャンしてる。日付ごとにevernoteに放り込んでるんだけど、聴いた講演のメモで日付が入ってないのとかあると、昔の予定表とか見ながら日付を推理したりする。5年くらい前になるともう研究会のHPとかも消えてるから変な思い出し方をしないといけない。そもそも最近のはiPadの手書きメモでとってるから、そういうのに限って昔のばっか。「このセミナーは確か、数年前に富士吉田に行ったときに聞いた話だなあ、あれはいつだよ、確かあの頃おかしくて、その頃に好きだった人にメールしたいけどする用もなくて、メアド変えましたメールでいいから出したいってなった末にiPhoneに買い換えて、富士吉田に向かう道中のバスでそんなメールを送った気がする、だからgmailをその人の名前で検索すれば日付分かるなあ」なんて探し方をしている。改めてそのメールを読んで、「しかしこの人、俺からメールしたときの迷惑そうにするっぷり、半端ねえなあ……」なんつって。つくばに背負ってったポスターケースとか、引っ越し前に色々整理してると、こういう不意にトラウマを付くような物件がいっぱい出てくる。こういうのできるだけフィジカルでもっといて、不意に現れる心理的メメントモリとして日常の脇に仕込んでおくべきだなあ。
  • あとは研究室に置いてある本もざくざく裁断している。引っ越し先にデータで持っていきたいかフィジカルで残して実家に置いておくかっていうのはその本の何に価値を見てるかみたいなとこがあって、もうかなり色々ざくざく切っている。通して読んだRyderとか、超弦理論の基本的な教科書で、M1の頃にゼミで読んだポルチンスキーとかも裁断側、もう残すのはB4の頃に苦労して読んだ九後さんのとPeskinくらいかなあって感じ。