召喚魔法Lv.1

 スイス、行ってきたんですよ。2/3から2/10まで、5泊7日ですかな。ジュネーブね、外食っつうか物価が高くて(体感で日本の2倍くらい)キツいの以外は、なんか治安も良さそう(人に割と余裕がある)だし、英語も通じるしですごいいいとこでした。つうか俺の場合、出張で行く時って大体研究施設に閉じこもるわけで、で海外から人集めるような理論物理の研究施設とか大学って大体まともなので、要は空港からその施設までちゃんと行けて、あとは1日2日あるかの休日でちゃんと過ごせればそれで印象は良くなるんですけど。 その点、俺が行ったとこ、空港から直通のバスが出てるし、バス内部には電光掲示板で次の行き先が出る(現地のフランス語分かんないので、固有名詞が文字で確認出来るの超助かる。イタリアきつかった)し、それで行った先のホテルは綺麗だしで、まあ過ごしやすかったわけ。
 研究会の3日目かなー。水曜日の午後。そこが、研究会の自由時間で。一応運営側が「近くの雪山へのバスを手配しました。スキーへ行く人は行きましょう。もちろん自由時間なので行かない人は観光なり何なりご自由に。ちなみにポスターセッションはこの午後です」とは言うのね。まずスキーには行きたくないんだ。あの、山から下りるスキーじゃなくて歩く方のスキーらしいんだけど。えー、ストックで漕いで前に体重かけて、あとはスキー板でバフバフ地面を叩くと前に進んでいくあれね、それがスイスだかフランスだかの雪山で、2000円くらいで楽しめるんだそうだ。一応俺も北海道生まれなので、それくらい出来るんですけど、別にやりたくないのね。特に楽しくないのも知ってるから。あとね、なんかさらっと言ってるけど、俺、そのポスターセッションとやら、参加するから。さては自由時間じゃないんだ。
 ポスター、自分の研究結果をA0サイズだから畳1枚ぶんくらいかな、そんな大きさに印刷してあるやつなんだけど。そのポスターセッションとやらのこの研究会での立ち位置がよく分かんないわけ。研究会のホームページの端っこの方に「ポスターセッション……一応やるけど、まあ出したい人は偉い人に直接メールして訊いてみて」とかおざなりにも程があって。それでその偉い人にメールしたら「一応やるから、なんか丁度いいサイズ(moderate size)に印刷して持ってきて」とか言ってくるんだ。丁度いいサイズってなんだよ。まあ普通にこの分野で使うポスターだからA0サイズだとは思うんだけど、それmoderate sizeって言うか? だってA0よりデカいの、普通無いんだよ。でもさあ、外人デカいじゃん。あのねえ、男子便所、普通はチンコって、やや斜め下に向けて後はブレないように左手は添えるだけじゃん。その研究施設の男子便器、位置が高くて。そのままチンコ出したら、もう便器の下端にべろんと乗っかるくらい高いとこにあるんだ。なんならやや持ち上げないと小便出来ないからね。そんなデカい奴らのmoderate sizeって、さては相当デカいぞって。普通にA0で印刷したところで、これ見よがしに片手で顕微鏡を持ち出して、「ジャパニーズ、クレイジーミニマム……」とか言いながら対物レンズのダイヤルをチリチリ回された日にはたまんないじゃん。なんかもう首を傾げながらA0で印刷して行ってはいるんだけど。
 で水曜の午後、そのポスターセッションの会場って言うか廊下なんだけど、そこに行ったら、なんだろうな……。金網みたいな衝立? が2枚、立ってるんだ。というか、この衝立自体は、研究会の初日からあった。で、違うのは、その1枚に、マスキングテープの切れ端が3枚ぺろっと付いてるのと、もう1枚の衝立に、A2くらいの小さいポスターが既に貼られていることね。……ポスターセッション、始まってるんだ? しょうがねえから、ポスターを持ってきてる日本人のもう1人と、首を傾げながらマスキングテープでポスターを貼ろうとするんだけど、これが全然駄目なわけ。べろんべろん剥がれてポスターが落ちる。その既に貼られてるポスターを見ると、金網にクリップみたいので留めてあるんだけど、もちろんクリップの用意は他にないんだ。つか、その隣に全然関係ない掲示物が貼ってあって、そのうちの2枚だけ、クリップが不自然に足りてないの。「……くすねろ、ということか?」首を傾げながらポスターを持ってると、もう1人ポスターを持った外国人がやってくる。ちょっとだけ日本語の喋れる、ジュゼッペ君っていうらしいんだよ。何ごましまろだ。他にはもう誰も来ない。衝立の表と裏で2枚ずつ、さてはこのポスターセッション、A2が1枚、ジュゼッペ1枚、日本人2枚の、この4枚で終わりなのか? 100人単位で参加する国際研究会のポスターセッションが、4枚? 結局、1時間くらい首を傾げてたら、ようやく秘書さんか事務さんか来て。でクリップ貸してくれたんだけど。その後はもう誰も来ないんだ。ジュゼッペ君も「ばいばい」って帰っちゃうし、えー、ポスターセッション、終ー了ーでーす。
 そんで残った自由時間、日本人の同級生2人と俺とで、近くのジュネーブって街に観光に行きました。まあいわゆるレマン湖の噴水(レはフランス語の接頭辞みたいなもんだから、実質的にはマン湖の噴水であることで日本人にお馴染み)とか一通り見て、相当面白かったんですけど、ただ1つ、途中で俺の要望で寄った、チョコレート屋さんね。完全に地元向けの店で。有名なステットラーとかも行ったんですよ。ステットラー、皇太子ご夫妻ゆかりのとこなんですけど、そこは日本人しか客がいなくて、店員が「シショク?」っていいながら試食させてくれたんですけど。俺が行きたかったのは、auerってとこ。あとから調べたら日本にも支店があるらしい。そこで一通り土産を買ってクレカで払おうとしたら、電卓みたいの差し出されて暗証番号を要求されるわけ。日本でもよくありますよね。あれ、俺、自分の分かんなくなっちゃってるんですよ。1回使うにつき2回まで間違えられるので(3回間違えるとカードが止められる)色々試してみたんですけど、いっつもさっぱり通らないんだ。日本にいる時は2回間違えたところで「すんません、サインで」っつって名前を書く。こないだ彼女が京都に来てた時にも何回かやって、彼女に「あれ、レジ打ち経験から言うと、電卓の確認ボタン2回押したらサインになるよ」って得意げに教えて貰って「そうなんだー。俺の彼女は可愛くて物知りで天使だなあ」なんて言いながら頭を撫でてたし。アメリカ行った時はそもそもサインしか要求されなかったから、全世界、サインでカードは使えるもんだと思ってたのね。で、そのチョコ屋でも2回間違えてから「Can I use signature?」って訊いたら、「No」って言われて。訳分かんないじゃん。使えないと思ってないもん。この店員が俺に意地悪してるか、俺の彼女が嘘をついてるかのどっちかで、じゃあ店員の意地悪に決まってるよね。何故なら俺の彼女は天使だから。でも、そこで確認ボタン2回は押せないだろう。そんでしぶしぶ、持ってるなけなしの現金で支払ったんだけど、これ、もう物価高いこの国で持ってる現金がごっそり減って、最終日まで飯が食えるかどうか、みたいな話になってるわけ。
 それからもATMとかで相当色々暗証番号を試してみたんだけど、通らないね。で夕方にホテルに戻ってきて、色々調べるわけ。そもそもヨーロッパではクレカはサインでは使えないことね。終わった。何故なら、チェックアウトする時に払う、ホテル代が払えないから。暗証番号は書留による郵送でしか調べられないから、海外からでは分からない。取り敢えずクレカの住所を実家に変えて、そっちに暗証番号通知を送ってもらう手続きはしたけど、まあしかしこの状況、終わってんね。タイムリミットはチェックアウトする土曜の昼。えー、この時点で、普通ならとれる方法は、同じ研究会に参加してる同級生に土下座して金を借りる、ね。それはない。彼女を自腹でスイスに召喚する。魔方陣を書くのに使う処女の生き血の手配が間に合わないね。そんでも諦めずにググってると、まあ幾つか方法があることが分かるんだ。まず、ウェスタンユニオンって言う、世界中ほぼどこでも金が送れるやつがあるらしい、んだ。あと、クレカの方はジュネーブにもデスクがあって、で、海外でクレカを無くした人用に緊急キャッシングサービスってのがあるらしい。極端な話、今持ってる暗証番号が分からないだけのクレカをハサミで切って無くしたことにすればそれが受けられるんだから、切らなくても受けられるはずだ、と。意外と色々、方法はあるもんだな。まずはクレカかな、と思って。ウェスタンユニオン、知らないし。もちろん日本にも支店はあるし、スイスにもあることになってる。ただ、そのスイスでの支店を調べると、なんか、あちこちのそこら辺の本屋さんでも受け付けてることになってて、でもしかしだよ、ウェスタンユニオン、なんなら10万単位の金を受け取ったり送れたりするのに、そこら辺の本屋にいきなり行って「10万くれ」っつって、レジから金出してくれるわけないじゃん。ウェスタンユニオンのホームページに「世界486,000支店でお受け取り頂けます」とは書いてあって、「さてこの書店で受け取りが出来た場合、近郊にはこのくらいあって、じゃあ世界中にフェルミ推定すると……やっぱ書店では無理か?」とか言ってさ。だから、これは送金専門の支店なんだと思うんだけど、しかし受け取れる方の機関を調べる方法がさっぱり分からないから。というか、普通は銀行口座にそのまま入れるようにするわけで、現金で受け取るって人があんまいないんだろうね。そこまで分かったのが水曜の夜。
 明けて木曜の朝だ。そのクレカの海外デスクが開くのが午前9時、電話をするね。えー、結果、「無くしたわけじゃないなら一旦日本に電話しろ」マジかーと思って。もうそのまま金貸してくれたらめでたしめでたしだと思ってたから。「ちなみに日本の窓口は日本時間で9時17時」マジかーと思って。こっちの朝一午前9時なう、日本の時間で17時なうだもん、閉まったばっかりなんだよ。もう悶々としながら木曜の研究会日程をこなして、こっちの夜中、午前1時に日本に電話するわけ。なんか、暗証番号を教えてくれる方向で話が進んでさ。まあそれはそれで教えてくれるならいいかー、っつって、教えてくれた番号が、なんか、絶対1度は試したことある番号なんだ。なんつうかな、誕生日を試す前に試す、くらいの数字だった。
「あの、その番号、絶対1度試したことある番号なんですけど、もしかしてもう既に、クレカ、止められてます?」
「いや、止められてませんよ」
「ATMのPINコードってのが、それなんですよね」
「ええ」
っていうから、夜中の1時にATMに行って(朝まで待ったら日本の窓口閉まるもん)試してみたら、いつもと違うエラーメッセージは、出る。というか、カード会社に問い合わせろ、って書いてある。それはやったよ。もっかい日本に電話したよ。そしたらやっぱり止められててさ。また俺は嘘をつかれたのか。しかも緊急キャッシングは駄目っぽい。
「PINコードを使わないで引き出せる銀行があるかも知れません」
「かもって」
「こちらとしては、確実なことは何も申せません」
「はあ」
もう駄目だ。電話代だけで4,000円行ってる。もう駄目だ。というか、あの暗証番号だとしたら、俺のこのクレカ、もう年単位の昔に止められてるんですよ。勘違いしてたのは、一度に3回間違えたら止められるんじゃなくて、間違い累積3回で止められちゃうのね。年に100万、amazonなりsofmapなり大学生協なりで使ってるのに、暗証番号の方は年単位で止められてるって。下手に使えるぶんだけ気付かないんだから、誰かなんかお知らせしてくれよ。
 セカンドチョイス、ウェスタンユニオンである。こっちを使おうと思って。で実は木曜の昼間のうちから、実家の方に連絡して、もしかしたらこういう方法でお金を送ってもらうかも、みたいなメールはしてあったんだ。頼んでもいないうちから、返信がめんどくさい。曰く実家近くにも店はあって営業時間は何時から何時だの、そっちが頼んだら朝一で行ける(だからそっちの朝一はこっちの夜中である)だの、本当に困ったら大使館に行ってだの(亡命?)、そういうのはこっちからインターネットで全部調べたうえで頼んでるのに、まあなんか、メールの向こう側でえらい張り切ってる感じなのが窺えて、面倒くさい。先月に実家帰った時に、そういうのが全部嫌だからとうぶん実家には近寄るまい、と決めたのだ。実家に行ったら遠恋の彼女にも会えるのに行かないって言ってる時点で、相当嫌がってますからね。
それでその木曜の夜、向こうの金曜の朝ですよね。もうこの時点で、色々ネットで調べてるうちにウェスタンユニオンというサービス自体には特に不信感はなくなってて。多分駅前にあるという銀行で受け取れるんでしょ、くらいの感じ。申し訳ないですけど4万貸して下さい、一両日くらいで急いでないです、あとウェスタンユニオンの支店に行くなら、ジュネーブで現金で受け取れるところがあるか、一応確認して下さいってメールしたら、まあ急いでないっつってんのに1時間かそこらでメールが返ってくるんですよ。「7万送りました」はいきた、この張り切りすぎて過保護な感じ、すごい嫌だ、と思って。あのさあ、明けて金曜日、土曜にはもうスイスを発つのに、予想外の金を数万送られても困るじゃん。ましてや海外、ただでさえ、多すぎる現金は持たないようにしましょうでお馴染みなのに。それを「多いぶんには困らないよね!」で送ってくる感じな。もう、俺に言ってないだけで、既に何回も俺の名前使った振り込み詐欺に遭ってんじゃねえの、この人。で、続けて言うことには「〜っていう銀行と、あと郵便局で受け取れるそうです」とか書いてあるんだ。郵便局? 一応研究所にもあるけど、ウェスタンユニオンの文字は一言も無かったぞ? と思いながら、「じゃあ明日の朝に試します」と送って眠るわけ。
 金曜の朝だ。この日の昼過ぎを以て研究会は終了である。朝一で研究所の郵便局に行ったらあっけなく「We don't have western union system」とか言われて、「まあそうだろうね」と思って。まあ午後からまた予定が空くから、ジュネーブの観光に行くだろうし、その時に駅前の銀行に行けばいいやっつって。で、一応実家に「郵便局駄目でした」って連絡したら、まあすごい勢いで返信が返ってくるんだ。問い合わせ用の現地番号とか(たぶん携帯から繋がんないだろ)送ってくるし、今更webサイトで受け取れそうな銀行の名前とか調べてくるし、適当に返事してたら次々にメールが返ってくるんだ。あの、どこの銀行に行けばいいのは、もう分かってるんですよ。最終的に、金を送ってもらった次の日に俺、実家に「申し訳ないけど、お仕事終わったらちゃんとやるんで、黙っててくれませんか」ってメールしてるからね。俺が悪いんですかね、こういうのは。
 普通にお仕事終わって、貼ってあったポスターを回収して(木曜くらいに、俺が名前知ってるレベルのポスドクが読んでくれて質問してくれたりはした)、また日本人で連れたってジュネーブに出かけるんだ。予想通り、駅前の銀行に「Western Union」って看板がぶら下がってて。訪ねていくと、まあスイスっぽいフレンドリーさと親切さで普通にお金も受けとれて。そのまままた観光に出かけて、夕方にホテルに戻ってきました。「あ」って。そういえば昼間、「お金が受け取れたら、何時になってもいいので連絡下さい」って実家に言われてたの、忘れてた。既に向こう、朝の3時とかなんだ。メールしたらすぐ返事来るね。なんつうか、そういうのがなんつうか、なんですよ。そしてついでにamazonを見ると、暗証番号が止められているクレカで決済された、トイレの汚物入れが発送済みになっている。このクレカが、もっとしっかり止まっててくれればさあ……。まあでも、さんざ彼女に普段「俺って、誕生日とかの意味のある数字、絶対忘れらんないんだよね」とか言っといて、クレカを使う時には暗証番号をさんざ間違えて、首をひねりながらサインで決済するんですけど、それは既に遠い昔に止められてたからで、俺が暗証番号を忘れてたわけではない、ということが分かって良かった、です。