第54回京都大学未来フォーラム

 作家の貴志祐介さんをお招きして、「なぜエンターテインメントに残虐な表現が必要なのか」という題でお話を頂きました。しかしなんだね、俺は仕事柄あれだね、パワポの発表資料が映し出されていないと、人の論考を聞くのにも苦労するようになったね。特に今回は、わりと一本調子で話す人だったわりに、"エンタメ作家として"とか"一人の親として"と色んな視点からの話が入ったり、比喩や挿話が入ったり、ちょっと聞き所が難しい講演だったかな、とか。あと、ほんと枝葉だけど、途中に「ワクチン」の比喩(親として子供から「悪」の存在を隠して無垢なまま育って欲しいけど、それで大人になっていきなり本物の悪に会ったときに取り返しがつかないから、エンターテインメントを通じた悪で予め慣らしておこう、みたいな話)に出てきた、厚労省のポリオワクチンの話、1年くらい前に調べた話として話してたけど、たしかちょうど今月くらいに全面的に不活化ワクチンに移行したんじゃなかったかなーって思った。
 作家としては、エンタメとしての刺激の強さとして殺人を扱うこと、生を描くためのカウンターとして死や殺しを描くことなどがまずあるんだそうですよ。「登場人物を極限まで追い込んで、その緊張の1/100しか読者には伝わらない」なんて言葉を紹介してましたけど。まあ確かに古今東西、死を扱う作品はいっぱいあるわけなんだけど。どうだろうねえ、個人的には、エンタメとしての面白さを表す言葉に「感動」以外の言葉を誰かが開発してくれると議論がすっきりするような気もするけど。
 で、一人の親として、その無菌培養とするのではなく、心の備えとしてそういうのも必要なのではないか、という話。ここはまあ、個々の家庭の教育論とかもあることだろうけど、まあそうなんだろうな、という感じ。
 あと、表現規制派に対する反論意見として、小説やゲームが子供の成長にどのくらい影響を与えるかということは、まともに定量的なデータを調べた人は殆どいなく、印象論だけで規制を進めようとしていることを1つ。それから、例の都条例を挙げて、その対象の曖昧さから、「時の為政者の都合の良いように表現規制をかけられる」ということに対する危惧を述べてらしたか。規制反対派の論点としては全然間違ってないし、実際出版社側の自粛とかもあったけど、建前としてはアレはゾーニングの条例なので、そこのステップを一言も触れずに、表現を禁止しようとしてる、と紹介してしまうのは多分アンフェアじゃねえの、とは思って聞いてたかな。