毒。

 研究室の宴会係を任されているんです。向いてないのに。そもそもうちの研究室、わりと出たり入ったりが激しくて、特に外国人研究者が数ヶ月とか滞在していくこととかしょっちゅうあるんです。あと、途中で夢破れて命を絶った元研究者がじっと壁時計の上に体育座りしたまま2ヶ月くらいいたりするし、研究室中にひくくらいの量が置いてあるゴキブリホイホイも数ヶ月ごとに交換したりする。その度ごとに歓迎会と送別会をやるんですね。それも、どっか飲み屋を予約するんじゃなくて、自分らでピザとか飲み物とか盛り塩の買い出しやって、研究所の中で立食パーティみたいにしてやるのね。
 そんで今回は、5月からもまた1人来てて(生身の肉体を持った外国人研究者です)、あと5月いっぱいで1人いなくなったりする。俺も月頭から別件で忙しかったし、他の学生も書類書きで忙しかったので、その月の初めから来てた人の歓迎会はやってなかったのね。俺の方の用事も片付いて、ようやくなんかやるかってなったのが先週の終わりで、まあそっから急いで偉い人たちの予定を聞いて、あとはいなくなる人の送別会も兼ねるってなったら出さなきゃいけない英語のメールも2倍ですよ。それがまあ、俺の英語力の低さったらないわけ。なんの挨拶もなく「〜教授 あなたの歓迎会をやるので来週の予定を教えて下さい お返事お待ちしてます」みたいなメールになってて、自分の唐突さにあとから見直して吹いた。結局、それらが全部纏まって研究室内に正式な告知を出したのが、宴会開催の2日前ですよ。不手際もいいとこなわけ。だって、プライベートで俺が2日前に予定入れるなんてことやられたら、「もうっ! 急にそんなこと言われても困るよ! こっちだって、髪を整えたりとか色々用意あるんだから!」って言うと思うもん。どうせ俺のアナルだけが目当てだから、髪型とかどうでもいいんでしょ?
 そんで、まあ後輩と一緒に買い出しに行って、ごちゃごちゃ用意するわけ。そんでまあ、やりましたよ。乾杯の音頭を偉い人に頼むのとかも英語でスピーチするんだけど、それがまあグダグダになりまして。なんかもう、ほんとどうにでもなっちゃえばいいなーと思って。で、皆さまへの集金を後輩に任せて、俺はもうウイスキーをそのまま飲むことに決めました。そこらの紙コップにシングルモルトをたぷたぷ入れて、ちびちびやってたんですけど、2杯目を飲み終わってしばらくした辺りでようやく楽しくなってきて。その一瞬だけ「あー、俺、いま面白いこと言ってんなー」って思ったんだよね。いや、思い出せるのは、身振り付きで"I'm not sure."って繰り返し言ってること自体が楽しくなってた記憶と、脳味噌を一個も使わない下ネタを言ってた記憶と、あと「重力が斜めになった」って後輩に主張し続ける記憶と、途中で3杯目を注いでみたらこれまでちびちびしか飲めなかったのに3杯目はすっと飲めたことだけだけど。その辺りで「そうだ、座禅を組もう」って思ったのは憶えてるんですけど、そっから先は、会場を出た、研究所の廊下のリノリウムに寝っ転がって、頭の下にゴミ袋を敷かれているところまで飛びますね。なんだろうね、あの、ここまで酔っぱらう寸前の一瞬だけ、遠くから自分が「ああ……いま、たのしいなあ……」って思うんだよね。あのまま意識が飛んで死ねるなら悪くないんだけど、それは一人の時にやらないと周りが迷惑するからね。
 あーそう、それで、床に寝っ転がって、既にえらい量のゲロをゴミ袋に吐いて、後輩に「あーあ」って言われてる時に、世話になってた教員がその廊下を通りかかって。なんか、この勢いを利用しない手はないって思っちゃったんだろうね、ずっといつか言おうと思ってた、物理をやめる話をしたんだよね。あとから後輩に聞いた話だと、俺、楽しそうだったらしいよ。だろうね。
 そんで次の記憶はもう、研究室の自分の机の前だよね。その辺りでちょっと寝たら、もうゲロは出なくて。床に寝っ転がって、自分の机に置いてあった『化物語 副音声副読本』をだらだら読んだり寝たりして、3時くらいになって一念発起して帰って寝ましたとさ。そんで次の日だったか、ふらふら夜中に学校に来て、その教員に「あんまり憶えてないけど、もしかしたら失礼なことを言ったかも?」という謝り方で誤魔化して、で、俺のゲロを片付ける役だった後輩には「俺のゲロ片付けポイントが2ポイント(去年も1回やってる)溜まったので、そのうちご飯を奢りましょう……」って言って謝りました。
 なんか知らんけど、その日以降、やたら気が楽なんだよねえ。なんだろうね。一応宴会が終わったのもあるけど、酔った勢いという体で一応、物理やめることを公言できたからなんだろうか。うん。論文読んでても楽しいんだよね。これが。