直接言葉にしないで誰かに何かを伝えられると思いあがっているのなら、せめて音速より速く走ってみせろ。

 あのねえ、俺、走るのが遅いんですよ。徒競走とかそういう類のもので、最下位以外をとったことがない。中学校の運動会の時なんか、どうせ最下位なんだからっつって、走ってる途中で靴が脱げたふりをするという小芝居を打ったりもしました。あとで親に怒られた。そんなもんだから、走ったところで大概早くもならないし、っていうので、急ぐ時にも走るのを諦めちゃうことが多い。そもそも俺みたいな小太りブサイクが息を切らせて公道を走ったら、見苦しくて捕まる。だから、ゼミに遅刻しそうな時も諦めて走らない。人質にする親友もいないし、妹の結婚式にはそもそも行かない(たぶん呼ばれない)(いや、実家を出て以降はそれなりにうまく距離感もとれるようになって、そんなにアレな感じじゃなくなったじゃん)(そうかな……呼んでくれるかな……)(兄チャマ、チェキ!)。そう、俺が急がなくちゃいけなくなった時には、大概すでにもう駄目なんです。「駄目」の前に「どうせ」をつけましょうか。どうせ間に合わないから走らない。会ったらどうせ怒られるんだから、出来るだけ逃げる。どうせウンコは漏らすんだから、ぽんぽんは出して寝る。生きてるとたまに「楽しい」とか「幸せだ」とか思う瞬間は訪れるけど、どうせ俺の感情なんかは俺以外の人にとって価値はないし、どうせ死んだら死ぬんだから、さっさと死ぬ。まあ、大体ボクはそういう生き方をしてきました。「ぽんぽん」の「ぽ」を「ち」に変えると? ちんちーん。
 なんかね、年度の頭って、やたら事務仕事が多いですよ。研究室内のお引っ越しとか、あと学生証を取り替えたり(「前科」の欄が足りなくなりました)。何より、今年から一応銭をもらって研究することになったので、保険証やら何やらの手続きがいる。独立生計になったので学費の免除も申請する。夫の欄に俺の名前を書いた婚姻届を何枚も妹に送りつける(ボクのこと、一人の男の子として見て欲しいんだ……)(兄チャマ、チェキ!)。なんかもう、これがRPGだったら「お使いゲー」って言われて批判されるくらい、手続が込み入っているんですよ。学費免除申請のために採用見込通知書が要るけど、それの請求書類と一緒に出す書類には在学届が必要で、在学届を出すには新しい学生証が必要で、新しい学生証を出すには印鑑が必要で、印鑑を取りに家に戻るついでにコンビニで切手を買って、みたいなことが普通に起きるわけ。順番を一つ間違えると、順番おじさんに殺される。あと、普通に事務の人に怒られる。殺されるのはいいけど、怒られるのは嫌だからさあ(人を殺したら殺した側にもまあ責任が重くつくけど、人を怒る時って結構みんな無責任に怒るじゃん。それが嫌)、ちゃんとやろうとするわけ。そしたらさあ、びっくりすることに、わりと大事な書類を、俺、無くしてるみたいなんだよね。
 月曜の午前中だったかなあ。書類一式を揃えて事務に提出しに行ったら、「これから貰える金額の書いた通知書っていうのが、必ず届いてるはずなんですけど」って言われて。「いや、そんなの、ない、ですけど……。じゃあ、もう一度帰って探してみます」なんて言うけど、俺自身、そんな書類見たことないしと思って。で、一応書類入れてる棚をざっと確認して「やっぱそんなのねえよ(笑)」っつって事務にもっかい行ったら「えっと、こういうのが、他の人はみんな出してます」つって、どんな書式で何月何日付で発行されてる書類なのかまで説明されちゃってさ。そしたらそりゃ俺も「そんなの無いわ」って言えるわけないじゃん。というか、その具体的な書式見てちょっとだけ頭の隅に、「こういうの、なんか色んなことが一覧になって書いてあるペラ紙だから、そういうのによく同封されてるただの書類目録だと思って捨てる、こともあるかも知れないなあ、俺なら。あと、違う日付で来たもう一枚似たような書類があるから、コピーとった時に入れ違えたかも」って思ったりはするよねえ。
 で、一応その日のうちにその書類の再発行を申請して(字義通りのフールプルーフ)、いやそれもさあ、再発行のための書類を揃えて速達で出そうとして郵便局まで走ったら、2分前に閉まってたりとかするんだよ。というかその時、あまりに急いでて、財布を研究室の机の上に忘れてたまま郵便局行こうとしてるから、どっちにしろ郵便はその日のうちに出せなかったわけだし、やっぱり走った意味はなかったどころか、走るのが遅くて間に合わなくて良かったね、ではあるんだよ。で、取り敢えず夜のうちに郵便ポストにその書類は出して、夜中に家中引っかき回して、実家にも連絡したけどやっぱり無くて。んで、次の日の朝ですよ。火曜日。その日から大阪で大きめの研究会があって。まあ面白いんですけど、これがなんたって朝9時からなわけ。俺んちを7時前に出ないと間に合わないの。しんどい。大阪行きだから通勤ラッシュに巻き込まれてしんどい。道中iPadで今読んでる論文を読もうと思ってたけど、同じ電車でうちのポスドクの人と一緒になって、で俺の読んでる論文が「ちょっと古めの、あまりに基本的で、修士とってるのに読んでないのはおかしい」レベルのだったから、隣でそれを読むのは気がひけるってんで、たまたまiPadに入ってた違う新しい論文を読み始めるのもしんどい。まあそれでも無事大阪に着いて研究会の初日の午前中が終わって、他大の同級生と飯食ったところで、まあ、俺、その日は京都に帰ろうと思って。いや、その、書類の再発行を請求してるっていう状況を、事務に一度報告しようと思って。まあ近場で自費で来てる研究会だから、勝手に帰っても問題はないし。それで、確か事務が17時に閉まるからってんで、向こうを14:30くらいに出たのかな。なんかね、昨日、天気、酷かったじゃん。その15時前くらいが一番酷くて、まあ最寄りの電車は停まってるわけ。違う路線の駅まで20分くらい歩いて行く、それも今から思うと、その時間だけちょうどアホみたいな雨が降ったりしてんですよ。そんで駅に着いたと思ったら行きたかったのと違う路線で遠回りしてたり、あとトイレに行きそびれて、途中で降りて乗り換えプランを更に変えたりして(おしっこ間に合いました)、もうこれ間に合わないなと思いながら京都行きの電車に乗ると、学校の最寄り駅に着くのが16:55着とか言ってんの。学校まで駅から、えー、1km。1kmを5分は、ちょっとした市民ランナーのマラソンのペースですよねえ。高校時代の俺の1500mの計測タイムは、クラスで1人だけ周回遅れになってゴールした時に「タイムとか心底どうでもいいな……」と思って、「すいません、もう1周あります」つって1人で余計に1周走ったりとかしてた(しかもほぼ歩きのペースで)から、タイムは無い。けど、1kmを5分はありえないですよ。200mを小走りで息が切れるから。しかも、俺、ウンコがしたい。結構切羽詰まってる。「おしっこした時に行っておきなよ……」それ、小学生の頃からずっと言われてる。
 まあ、それなりに、走ってみました。途中で便意の波が来て立ち止まったりもしましたけど。そしたら、なんか、間に合って。事務室のドアノックして、「こないだの書類の件なんですけど」っつった辺りで時報が鳴るくらいのギリギリ具合。「あー、こういう時の俺って、絶対間に合わないように出来てるもんだと思ってたけど、走って間に合うこととか、あるんだ。こんなに裏目に入りまくってるのに結果が間に合う、走った甲斐がある、ってのは、よく分かんないな」と思いました。いや、結局ただの報告しただけで、先方もそれ聞いて、はいじゃあまた後日、ってだけだったので、何が進んだってわけではないんだけど、うーん、報われる努力が俺にもあるとすると、これからもことあるごとに努力しなくちゃいけなくて面倒くさいな、これまでみたいに「どうせ」とか言って寝てたいなって思いました。