虚空へ呟くその3。

ラグランジアンこそが理論物理だ、と言う時に、じゃあユニタリ性だのなんだのとラグランジアンに制限を与える存在って何なの? という疑問がある。つまり、現実を記述しうるためのラグランジアンが持たなければならない条件は既に全てわかっていて、それを満たしさえすればラグランジアンはどんな形でも構わないという考え方をとるか、各ラグランジアンについてとりあえずそれが記述するシステムに照らし合わせる必要があるという考え方をとるか、という話。後者から前者へ各人で段階的にパラダイムシフトがあるような気がするけど、物理系でも3回生ならそれを口で言ってもわかってくれる人はあんまいない。というか、課題演習の理論の方では当然のように後者をとったような気がする。今度の俺の担当するパートでも意識的に後者をとったつもり。あれは虚数質量が一見わかってる条件にすら触れているように見えるからという事情があるにせよ。でも、物理の理論とはラグランジアンだ、と言う命題には、自覚無自覚を問わず、この疑問について前者をとる姿勢が前提とされているように思うのです。いやいや、それは言いがかりだよ。