トオマス・マン 『トニオ・クレエゲル』

芸術家はその異常性から、良心を持った俗人とはズレた存在である、という作家の主人公だが、彼自身は作家という芸術職にありながら俗人の良心を捨てられない。その2つの世界のどちらにも属することの出来ない主人公の矛盾に、画家の女友達が彼が「一人の俗人だ」と指摘する。その後故郷に旅した主人公は自分の作家としてのあり方を見直す、みたいな小説。トーマス・マン自身の文学についての私小説的な部分もあって思想的内容は濃いと思う。

子ども時代から続く、芸術家肌ゆえの疎外感は意外と誰でも共感できるところだと思うけど、どんなもんですかね。

あと。あんまり主題には関係ないところかもしれないけれど、

ある甘い、または崇高な体験のために、あまり感動しすぎたらどうしますか。これほど造作のないことはありません。文学者のところへ行くのですよ。そうすれば、すべてはごく短い時間で整えられてしまいます。文学者はあなたの案件を、解剖し公式化し名を指し言い現し、語らしめてくれるでしょう。そのこと全体を、永久に片付けて無興味にしてしまって、しかも決して御礼などは受け取らないでしょう。ところが、あなたのほうは、軽くなった、熱のさめた、澄み渡った気持で家に帰る。そしてその事件のどこが一体、今の今まで、心を甘いときめきでみだしていたのかと、ふしぎに思うでしょう。

なんてくだりはblogを書くようになってからはよく思うこと。文章に起こすと整理されていい部分もあるし、一方であったことを文章に起こしてみるとなんだか無味乾燥な感じになってしまうことがよくあるんだよね。本の感想とかさ。

トニオ・クレエゲル (岩波文庫)