-141029

    • そういえばD論をどのタイミングで書いておくかというのが微妙かも知れん。なんか博士号はあった方がいいらしいと聞いたのだな。
    • つうかですねえ、公募を出すか出さないかみたいな話、俺の気分だけが問題なんだと思ってたら、絶妙のタイミングで水を差されたというか釘を刺されたというか、なんかねー、なんかねーなんですよ。それを説得するのは無理だなーっつって。
    • ちゃんと将来なりたい研究者像をイメージして、それに向かって心構えをしなさい、なんつってさ。あのねえ、だいたい、5年前にお勉強のストレスで倒れたときって、ストレスが原因で免疫力が下がって三半規管がぶっ壊れるっていうプロセスを踏んでて、なんつうか気持ちだけ頑張りたくても身体の方がぶっ壊れることとかあるんだなあというのを知ってるし(ついでにいうと、次の年にも一度別件で倒れてて、これは俺がいま乗ってる機体、よっぽどぽんこつだぞというのが分かった)、そういう意味ではまず自分の身体を信用してない。逆に言えば、その時の身体のコンディションで気持ちや決心なんか自覚なくいくらでも変わりうるし、まあ俺に出来る心構えとか決心とかってその程度のものなんでしょう。実際、風邪引いてやってられんって時にこういう話がきて、まともに返す気にもならんと言うのはその一例である。あと、両親が死んだらもうこの世の義理は果たしたことにして死にたいと決めているので、自分の未来なんか信用してない。最近、前に好きになったことある女の子を信用しないで大変グダグダになったくらいの人間不信(しかも違う相手に2ヶ月連続で2回やってる)なのに、自分自身、自分の能力を信用できるわけがない。
    • いやあ、そんな俺が将来を見通して決意をしなはれとか言われても、かなり引いちゃうよね。いやほんとに、特にその5年前からは、駄目だったらへらへら笑いながら実家帰って親の介護をして余生を送ってそんで結果死にゃいいだろ、っていう適当な思考放棄で色々気が楽になってどうにか生きてんのに、あんま難しいこと背負わされるのは無理だし、それが研究者に必須の能力であり責任だってなら、それはまあ俺にはねえな、というのが今の概ねの気持ちですね。
    • あとは学内でやってた院生向けの就活セミナー行ったり。専門外の就活でやるべきこと、みたいのでわりと面白かったが、途中で資料の中で「将来成長が期待できるような人」の要件の中に「気分が安定している人」って書いてあるのが相当印象に残ったらしく、メモでぐるんぐるん線で囲ってある。

 故あって、学部の頃に一緒だった人たちとご飯を食べてきた。まあ気心知れたもので、
「やー、物理やめるんですよ」なんて言ったところで、
「まーたそんなこと言ってるし」
「いやいやいや……今回こそは本当にやめますよ、ほら、こうやって法律の本を今は読んでいるんです」
「いっつもそこまではやるじゃん」
「うっへっへ……」
なんて感じになってるわけですが。まあ物性の方含めて、自分らの世代の一番賢い人たちが、ちゃんと活躍してちゃんと凹んでちゃんとやる気を失せてまたちゃんとやる気を取り戻してる話を聞くの、実に面白いなあ、なんて思っている。みんな頑張っていただきたい。