-140804

  • 5つ目の話
    • もう1歩計算が進む余地があるかなと思ってたところに、出張でうちにやってきた先輩に進捗を話すなど。

 金曜日に、うちの研究所の送別会があって。許可を取って、研究所の敷地の中でBBQをやるんですよ。その当日の準備に学生が駆り出される。正確に言うと、そろそろ俺の学年くらいになると準備を下に任せてもたいして問題はないんだけど、俺ほどの重篤な論文出ない病に罹っていると、一度やった計算の間違いに気付いてノートに大きく×マークを書いては同じ計算を繰り返す賽の河原みたいないつもの苦行に比べれば、買い出しはしたらちゃんと食材は自分のものになって勝手にお店に戻っていかない、野菜は切ったら切れて戻らない、3日前に泥炭地に沈んでおけばちゃんとミイラ化が進んで、当日に炭を採集する時に引き上げてもらえる、逆行しないでちゃんと前に進むぶんだけずいぶん楽しい。そんなわけで、なんなら下級生にお願いして準備に混ぜてもらってるんですけど。そういうの、居場所がなくてちょくちょく顔出してくる部活のOBみたいでちょうかっこ悪い。
 そんで野菜を切る係と火起こしをする係に分かれるんですけど、俺は火起こし係、他には今回の幹事1人にM1が1人と、あとドイツから来てる留学生が1人。ドイツか、と思って。あいつらめっちゃBBQとかしそうじゃん。ガーって火起こしてガーって肉焼いて、ガーってジョッキとジョッキをぶつけて乾杯して、ガーってスポーツセックスするじゃん。去年の9月にドイツ行って見てきたけどそうだった。嘘だけど。3台あるBBQ台に分かれてそれぞれ火を起こすんだけど、俺もまあなんか、炭を割って小さい欠片にしてそれにジェルっぽい着火剤を塗ってそれを火種にして、それから大きい炭に点けていくくらいのことは知ってるから、あの炭を拾う用のトング(他にこの世には、パンを摘まむ用のトングと粗チンを挟んでなじる用のトングの3種類がある)の先端を木炭のひびに挿し込んで割るんだけど、んなことしてたらそのドイツ人が、「わざわざ割らんでも、1個まるっと入れたらいいじゃん」くらいのことを言うわけ。そうなの? と思って。なんかゲルマン民族直伝の必殺技とかあって、この大きい炭に直接火を点けられたりするわけ? まあ、そう言うならそうするけど……と思って、大きい炭をそのままBBQ台の中に並べて始めたら、ちょっとその場を離れてた幹事が戻ってきてそれ見て、「えっと……cmizunaさん、火起こしとか出来る人ですか?」とか訊いてくるのね。「そんなでもない」「えっと、炭を細かく割って小さいのから火を点けていくんですよ」とか言って、どっかから持ってきた小型ハンマーを取り出すんだね。それ! やろうと! してた! 今度こそもっかい炭を割り始めたら、ドイツ人が「なんで炭とか割ってんの?」とか訊いてくる。幹事がちゃんと、こうすると簡単に火が点けられるんだよ、ということを説明すると、そのドイツ人曰く「Oh......I see.」らしい。理屈が……分かっていなかったのか……。あらゆるドイツ人がBBQに秀でているわけではないのか……。
 夕方から始まるBBQとはいえ、火起こしてたらクソみたいに暑いんだ。もう俺ってば汗だくね。着火剤に火を点けてしばらく、ようやく炭が熱せられてくるんだけど、去年から保管してた炭は湿気っていて、最初は白い煙しか出さない。煙い中それを必死にうちわで扇ぐんだけど、汗だくの俺から滴る汗のせいで逆に炭が湿気るんじゃないかというくらいに汗だく。うちわで扇ぐ、やっとこパチパチと音を立て始めて、その火種にもう少し大きい炭を近付けて、いよいよ火が安定しそうというところに、今度はどっか行ってたM1の後輩が自販機で買ってきた缶コーヒーを片手に戻ってきて、おう、やっとるか、みたいな感じで俺に「つきました?」とか言ってくる。「お陰様で……点きましたけど……」「うちわで扇ぐだけですよね」そう見えるならそうなんだろうけど、むしろそこまで分かってて実際に扇ぐのを俺に任せるその舐めっぷりなあ……。セミが鳴いている。羽化に失敗したサナギが地面に落ち、蟻がたかっている。可哀相、7年も幼虫期を過ごしていたのに羽化もできないなんて。そんな後輩の声が、学部から9年を物理やってきて今まさに就職に失敗しようとしている俺をなじる。