-140412

  • なんとかかんとかの申請書
    • まあ書き上がりそうな目処がついたものの、受入を頼んだ相手によると、この日本側の制度の面倒なところと、受入先の機関の面倒なところが上手く噛み合って、俺たちは1+1で200だ的な面倒さになっているらしい。しかしそれはわりと最近、乗り越えた偉大な日本人ポスドクによる先人がいらっしゃるとのことである。実に偉大、偉大である。

 4/5付の朝は京都にいて、新幹線で東京に行ってから先輩の結婚式に行きました。なんか基本的にふざけてるのにいつのまにか締めるとこは締めてる、この先輩らしい大変良い式でした。そのあとの二次会も楽しくて、なんか久々にちょういっぱい酒を飲みました。やったぜ。
 それで京都に戻る深夜バスですね。なんか甘酸っぱい匂いのする深夜バスでした。その最初の休憩、まだ日付が変わる前の足柄PAですわ。母親からメールが来て、祖母が亡くなったらしいと。これねえ、ちょっと地元の北海道は北海道なんですけど、新千歳とは違うとこなので、行くには羽田から行くんですよ。「あー」と思う間にどんどんバスは京都に向かっていく、「俺、明日また東京、くんだな……」つって。そんで京都に着いて、でツタヤにDVD返して、また新幹線で東京ですわ。なんかもう、2日酔いで指先めっちゃ痺れてるわけ。「昨日も浜松町、来たわ……」つって。俺も東京に現地妻を作っておけば、そのままでよかったというのに……。
 で、6日に父方の実家に着くわけです。なんだろうな、他の男孫は仕事で来れないとか言ってんですけど、俺のこの、海外学しなんとか申請書の締切2週間前、実はまだ指導教員に推薦書を頼む仕事すらしてないという状況は、仕事で来れないには入らないんですかね。そんなことを思いながら、入棺前の祖母の枕もとでTeX打ちしている。線香臭い申請書が書き上がりそうですよ。親戚の目が痛いかなと思ったけど、去年に祖父が亡くなった時に既に、祖父の遺体の枕元で床に座ってゴリゴリ計算してる姿を見せているので、「もう、この子はこういう子なんだ」的な扱いになっていましたね。
 次の日が入棺か。あの『おくりびと』のやつ、死に装束を着せる間、誰かがおりんを鳴らし続けなくちゃいけないんだけど、流れでその大役を賜りましてね。「鳴り止まないようにだけ、気をつけて下さい」とか言われて、まあこれが結構な時間なんだけど、うーん、ほら、俺みたいな人って、こういう単純作業みたいなやつ、夢中になっちゃうじゃん。上手く鳴らしたく、なっちゃうんだよね……。手首をどう返したらいいのかとか、意識しすぎてダブルクリックみたいになっちゃってうわあとかなってるわけ。最終的には、あんまり上手く鳴らせた時に「おっ」なんて呟いてるからね。夜は通夜。親戚一同でお酒飲んでるんだけど、俺もウイスキーのロックを自分で作って、それを飲みながらPCで海外学しなんとか申請書を書いているのね。結果的に親戚に「もしかしてcmizunaちゃん、ゲームしてんの?」とか訊かれてるからね。さすがに通夜でずっと1人でゲームしてたら面白すぎだけど、まあでも親戚からの俺の評価はそのくらい面白い人だと思われているようです。あと、次の日の葬儀が終わった後に見た、従妹の私服の茶色いキュロットが可愛かった。もう、しばらく喪服以外の服を見てなかったからな。生きねば。