ドイッチュ 『世界の究極理論は存在するか』

 量子コンピュータの概念を発見した物理学者ドイッチュの、世界観を丸ごと説明するような本。多世界解釈を用いた量子論チューリングの計算理論、ドーキンスの生物進化論、ポパーの知識論という4つの概念を軸に、世界観全体を捉え直させる。
 どちらかというと、物理そのものよりも科学哲学の本に近い。例えば俺なんかは、科学で測定出来ないことは科学の範疇じゃないから、科学の言葉で語ることに関しては完全に諦めててどうでもいいと思っているわけ。それは普通の進化論に対して、「古代からそう進化してきたように見えるように神がある日、化石を配置したのだ」っていう創造論とか、あと世界五分前仮説とか、俺にとってはどれが正しくても別にいいと思ってるし、その意味で等しくどうでもいい。関係ないけど前に実家でテレビ見てたら、アメリカにある創造論に基づいた博物館を馬鹿にしたみたいな切り口でとりあげるみたいなことやってて、まあそれの下品さたら無いなと思った。まあ、その、俺にとってはそのどうでもいいことについて、この本の著者は、科哲のオッカムの剃刀とかを持ち出してきて、科学とは実証能力だけではなくて、その説明の簡潔さこそが本質である、みたいな主張をするのね。それで、光のダブルスリット干渉実験を持ち出してきて、「これは、違う宇宙でもう一方のスリットを通った光子との相互作用の結果だとして考えれば、簡潔に説明がつく」なんて言って、説明能力の観点からしれっと多世界解釈を当然のように持ち出してくる。最初から最後まで、大体そんな風にして論理を繋げていって世界観を説明して、最後にはコンピュータによる仮想実在が生み出す天国、なんてものをぶちあげる。でもなあ。説明能力を持ち上げると、陰謀論的なものに弱い気がするんだけどな。
 量子コンピュータって、現在のコンピュータでは実質不可能なくらいの計算量を一瞬でこなすんだけど、その計算は実際はどこで行われているか? というと、最初の着想では「その多世界解釈での、無限個ある別の宇宙」が答えだったのね。今は確か確率解釈でもいけるんですけど。そういうのを着想した本人として、まあ科学哲学の人としての資質は保証されているのかもしれないね。
 個人的には、真剣に多世界解釈とか仮想実在とかを真剣にやってる人の本って読んだことがなかったので、まあ面白かったです。そうねえ、普通に受け入れられている理論と、この著者の掲げる理論との違い、これがまあ著者は自分の世界観として当たり前のように出してくるので、そこに「ちょっと待て」って言える程度には科学の知識は要ると思う。「物質の波動の二重性、では説明は冗長かね」とか。その程度の科学の知識があって、しかもその科学で今の自分の世界が説明出来る、と真剣に思っている人は、まあ本気でこの本に立ち向かってみるのもいいんじゃないか。

世界の究極理論は存在するか―多宇宙理論から見た生命、進化、時間

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