100308-10

  • 実験
    • 月曜。前半は当日付けのブログ参照。後半の本実験に至る頃にはほんとに脳が働かなくてへろへろ。物理の実験ってのはまあ、結果として量的なものを出さなければ基本的には意味が無いわけですが、その1つ前段階として、何を変数にすると物理的な結果が得られるか、という質的なアタリをつける段階がありましてな。これがいわゆる物理の実験のセンスだと思ってくれて問題ないですよ。これを決める為の予備実験なんですけど、俺のイメージではアレ、新聞の日曜特別版でクロスワードの下なんかに載ってる推理パズルってわかりますかね。3項目×4種類くらいの選択肢があって、それをいくつかのヒントを元に、4×4の方眼がΓ字に3つ並んでる表をマルバツで埋めていって、選択肢の正しい組み合わせを見つけるやつ。あの、『マコト「二番目の性奴隷の人は、尻穴を開発されたみたいですよ。はは、私じゃないですって」』みたいので表の2番目と尻穴の交点のところにマル、マコトと2番目にバツとか書いていって、「パウエル - 2人目 - アヌス」みたいなのを推理してくやつ。個人的には予備実験の"どのパラメータを動かしたところに物理があるか"ってのは、この推理パズルの表にマルバツを埋めていく作業に近いイメージがあるんだけど、なんかこの日の実験中は全然脳が働かなくて俺の脳内でこの表がぐっちゃぐっちゃになって、最終的には「おれはもうだめだ」ってなりました。
    • その本実験の途中で、「熱されてた実験器具が冷えていく過程」ってのが重要になったんだけど。もう俺なんかへろへろもへろへろ、完全にポンコツさんで、考えられることと言えば、ものを触って「あちゅい」と「あちゅくない」くらいしかないもんですから、その温度が大事な器具をぺたぺた触ってたわけですが、そしたら実験をお手伝い頂いている2人の大学院生に、目の前で「これ、閾値ぎりぎりでやってる実験だから、あんまりそこここを触ると結果が変わったりしないかな」「あー、そうかもしれんねー」という会話劇で下手な小芝居を打たれるという形で諫められ、しかも俺がそれに気付かないふりをして尚ぺたぺた触り続けてたら、その小芝居、3度くらい同じ内容で上演されましたからねー。あちゅかったです。
    • 火曜。おもむろに実験が終了した。「じゃああれで最後だったことにしよう」なんつって。実験の結論に関してメンバーの合意がとれて、そしたら後はその結論の客観的な根拠付けしかすることはなくて、それに関しては「もういい」な感じなので、もういいです。
    • で、この実験の発表用資料が完成しつつあるわけです。とは言っても俺が何をしたでもなく、ちょっと前から担当を振って、パワポの大まかな流れを作っててもらってたわけですけど。んで途中まで出来たそれを今日読んだら、なんか、それ作った人の書く文書く文、言葉の順序というか文体が、"仮に俺が書くとしたら"で見ると何もかもが真逆なんですよ。あと、ボキャブラリ的にもだいぶ俺と好みがズレてる。なんかここまで違うとちょっとびっくりしちゃって。文体ってやっぱりお互いが経験的に積み上げるもので、善し悪しは最大公約数的にしか決まらないんだろうけど。その、俺からするとここの言葉はこうした方がわかりがいい、みたいなとこが精々2,3点くらいだったら、技術論的に「結論を先に箇条書きで、どうしても論理関係を明示したくばもっと視覚的に」とか「この文脈で、ここの"パワー"って言葉は、実際にはなんの役割も果たしていないと思うんだ」とか指摘することも出来るんだけど、ここまであらゆる言葉に対する感覚が違うと、「ああ、この人はこういう言葉とこういう文体でものを考えてるのね」っていう断絶に震えるしかないですよ。1年この人とゼミやってきてるんだけど、びっくりするくらい俺の話が日本語として通じてねえな、って思うことがしょっちゅうあって。ほんと、この日だけでも覚えてるだけで4回くらい俺の言葉が意味が通らなかったりしてるわけ。いくら俺のコミュニケーション能力、発声の明瞭さとかがぶっ壊れているとはいえ、俺と他の人のラインはそこそこ通じる、この人も無茶苦茶頭のいい人だし勿論この人と他の人も会話が出来ている、いくら何でもこの通じなさは不自然だろう、で最近は「あんまり俺が阿呆なので、俺の話なんか聴く前から"どうでもいい"という軽視のバイアスがかけられてる」説みたいなのが俺の中でかなり有力視されてたわけですが、まあ、こういう文体の違いも少しはあるのかな、と思いつつ。
  • 竹内外史リー代数素粒子論』
    • ディンキン図形ってそーゆー意味があったのか! 思いのほか便利だな! などと。俺は2年前の授業で何を聴いていたの。

  今朝、私が朝風呂をいただいておりました折、お風呂場の外に置いてございました携帯電話が鳴り出しました。この時間に携帯電話が鳴ることこれ自体は毎朝のこと、目覚まし時計代わりに設定しておりますアラームですので応答する必要もないのですが、あまりにけたたましい音で鳴りますよって、お湯浴みを中座いたしましてアラームを停めに参りました。さてそうやって私がお風呂場から出て携帯電話に駆け寄りましたその途中、濡れていた私の右足が床の上でツルリと滑り、私はまるで宙に浮いたかのような勢いで仰向けに転倒し、したたかに右肘を床に打ち付けたものであります。この、私の体重が乗った右の足が床を掴み損ねてから、徐々に私の視界が床の高さに向かって下がっていき、肩も外れんばかりに肘を打ち付けるまでの間に私の脳裏を去来しました思い、これこそが諦観であったのではないかと、今になって思うのです。