たとへさやかに見えれども。

 もうここ半年くらいずっと自転車のタイヤの空気がすっかすかで、走ってるとなんかがっつんがっつん音が鳴るくらいだったんですけど、こないだ遂に自転車の空気入れ買ったんですよ。自腹で。なんかたかだか2千円くらいで気圧計付きのとか普通に買えんのね。まあそれで大体4気圧くらい? そもそも自転車の空気圧の相場がわかんねえし、あと政権変わったからなんか税法とか変わってまた昔の相場とも変わってるのかも知らんけど、とにかくその気圧計で赤い三角で印がついてるからこんなもんだろう、ってくらいまで入れといたわけ。そんで数日自転車乗ってたら、もう後輪のほうの空気が抜けている。あーあ、ずっと空気が抜けてたまんまだったら気付かなかったけど一旦空気入れちゃったから波動関数が収束してパンクしちゃった、と。
 そして今日の昼頃。京都では雨が降り出しましてね。雨の日なら自転車屋が空いてるんじゃないか、空いてたらあんま死にたくならずに済むんじゃないかってことで、敢えてパンクを直しに行こうかと思って。おしりかじりむしー。ごめん、いま突然歌いたかっただけ。で、一応自転車を漕いでいくわけだから、まあすぐ抜けるにしても一応後輪に空気入れてから自転車を漕ぎ出すわけです。その道中、まあ雨は小降りですがそこそこ快適に走ってる最中にふと思うのですよ。これ、実際はパンクしてなかったら、どうする? 実際ちょっと走っただけではさっき入れた空気もあんま抜けてないし。あのねえ、この世で一番信じちゃいけないものは俺自身だなんてことは、昨日の理論ゼミで死にたくなるくらい学んでますから、もう俺は自分の感覚なんか信じてないわけ。さっき空気入れてからタイヤ押してみたらぷしゅって抜ける音はしたけどあれも空耳かもしれないしとか、こないだはなんかの手際でたまたま、そう例えばキャップの付け方が甘かったとかそういう理由で空気が抜けただけで、実際は、自転車屋であの水張ったバケツの中でタイヤチューブを押して水泡の出る箇所からパンクを捜す、というあれをやっても穴なんか開いてないことがわかったり、むしろチューブの中から泡の代わりに紫色のどろどろした液体が出てきてバケツの中でそれが凝固して2年前に俺が気付かぬうちに自転車で踏んでたミミズを形作りそのミミズが俺を呪殺したりとかすんじゃねえかとか、この前玄関先で空気入れた時は実際は狐に化かされていて、後輪に空気入れたつもりが実はアパートの隣人の尻穴から空気を入れて隣人がぷかぷか空に浮かんでただけとか、あるいはこの世自体が胡蝶の夢とか、そういうのあんじゃねえかって段々不安になっていくのです。なんかもういっそ、乙女の嗜みとしてスキャンティーの裾に常に刺したままのこの待ち針で改めてパンクさせちゃおうかとか思うくらいの不安ですよ。でどうなるかというと、うん、自転車屋に行く前に引き返して来ちゃった。
 目的があって出かけた途中で自分がでっちあげた不安に負けて何もせずに家帰ってくるってのは、さすがに自分でもどうかなと思うわけ。しょうがないから途中でスーパーに買い物にでも行こうかと。でスーパーの駐輪所に自転車を止めて。さて俺はといえば、駐輪所に並ぶ自転車の中で自分の自転車がぱっと見でどれだかわかんなくなっちゃうっていうのがもうしょっちゅうなので、自転車買った時にデフォでついてる後輪の鍵の他に後輪にもう一個鍵付けて目印みたいにしてるんですよ。あの、駐輪所に並んでる自転車のサドルの匂いを順に嗅いでいけば一番ウンコ臭いのが俺の自転車だってわかりますけど、さすがに人前でそれをやるのは憚られますしね。「自分の自転車を嗅ぎつける代わりに鍵付ける、なんつってね!」死んじゃえば。で、今日も今日とて自分の自転車に鍵をかけるわけですが、えっとね、自転車から降りたら1つ目のそのデフォでついてた方の鍵、2つの鍵は一緒にリングに通して走ってる間は自転車に刺さってるわけだけど、これを抜くことで1つ目の鍵をかけて、でカゴに放り込んである2つ目の目印鍵本体を取り出して後輪に通したところをリングに通してあるやつでロックする、って言う手順を踏むんだ。通じてる? そもそも誰もこんな文章読んでないか。まあいいや。もう鍵かけるのなんか何百回もやってるから手癖っつうかリズムでやっちゃうんだけど、今日はその、2つ目の鍵を付け終わってポケットに放り込もうとしたら、その2つの鍵が通してあるはずのリングに1つ目の鍵がないんだ。落としたかなってちょっと足下捜しても落ちてない。あのさあ、こういう意識しないでいつものリズムでやってる手順がちょっと崩れちゃうともうわけわかんないわけ。しかももう鍵は一応かかってるし。無くなってる方の1つ目の鍵は刺さってないと自転車は動かないはずだから落としたとしてもこの辺だ、ってのは思いつくんだけど、リズムでやってることだから1つ目の鍵が手元にあることなんか鍵かけた時点では確認もしてないし、俺頭悪いから何か走行中にその鍵落としても走れちゃう理屈を見落としてるんじゃないか、例えば走行中でも鍵を落とした瞬間にちょうど近所の鍵おじさんこと鍵山鍵雄(48)が鍵穴にぴったり合う針金を差し込んだんじゃないかとか、そんなことから不安にもなるわけ。段々もうわけわかんなさすぎて、ちょっと店先で吐き気がしてくるレベル。でまあ俺様こと現実逃避師範代は「うん、帰りにポケットから鍵を手に取った時に初めて1つ鍵がないことに気が付いた、ということにして今は気付かぬふりをしてまず買い物をしよう」っつってね。で「ほほうハモですか」やら「リンゴが安いですねえ」やら適当な小芝居、まあ観客は自分で自分を騙している自分だけですけど、をうちながら一通り買い物を済ませもっかい駐輪所ですよ。改めて「あれ、鍵がない!」なんつってさ。まあよく捜したら結果的には自転車から2mくらい離れたところに落ちてたわけですけど。ほんと、いくら何でも今日はありもしない自分の不安に負けすぎ。ま、「ひぃっ俺ごときが電話で予約を取らなくちゃいけない美容室に行こうとしてごめんなさいごめんなさいなんか空いてそうな時間に電話かけて空いてそうな時間の予約を取りますからごめんなさいごめんなさいというか実際電話かける前にさり気なく店の前を通って空いてそうかどうか確認しますからごめんなさいごめんなさい」っていう不安が「道中ちら見したらなんかその美容室が潰れてた」っていう具合に実際に的中したのでいいんですけど。一昔前のエロゲの主人公どころか、「いま俺の顔見て真っ先に「いや、前髪伸びすぎ」って指摘しないような人は俺に対して本当のことを言ってくれない人なので俺自身の次に信用しない方がいい(じゃあ信用出来るのさっき会った大家さんだけだ)」っていうレベルまで髪伸びてからそんなこと気付いても困るんですが。