『サマーウォーズ』

@ユナイテッドシネマ札幌。観てきました。軽く観るならさわやかなデートムービー風味としてかなり面白く、真剣に観だすとまた死にたくなるような感じでしたね。新旧のネットワークの対比と、それは単なる言葉でもいいんだ、という肯定なんかは個人的に泣きどころなんですけど。えー、以下はネタバレ、というか見終わってからの家路でぐだぐだ考えてたことをそのまま書きますので。一応折りたたみますが気をつけて。あとボクも高校は物理部で物理オリンピック予選落ちですが、どうですか先輩。





で、問題は、この映画が家族礼賛なのかどうか、つまりこの「世界を救う集団」が家族というクラスタである必要があったか、それとも家族というのは舞台装置に過ぎなくて、繋がってさえいれば良かったのか、そこがどうかなんですよ。何故ならば旧家で親戚縁者に自衛隊やらキングカズマがいる必要がある、とかになるとこの映画はそれは例えば俺には関係がない話になるから。最終的に世界中にネットワークを拡散させたところを見ると後者でいいのかとも思うし、端的には健二という外的存在を軸に物語を作ることが(ラブコメ要素が商業的に必要だったろうとはいえ)その象徴なのかと思う、佐久間もいるし。けど、でも健二しれっと「翔太兄」とか呼んでるし最後の場面も結局陣内家が潰れる潰れないだし、やっぱ家族なのかー? とかずっと考えてたけど。出来れば、くらいの結論としては、家族に象徴させたネットワークへのイニシエーションの問題なのかな、なんというか共感の範囲の問題というか、共同体の担い手というか、というところで。