吉野源三郎 『君たちはどう生きるか』

中学生のコペル君が色んなことを考えるお話。深く考え、精神的、道徳的に正しく成長していく。
前半で一貫しているテーマは、中二くらいでたぶんみんな一度は感じる、自分の視点が世界に接続する感覚、というのかな、自分を世界の一部として客観的に捕える、ということに気付くということ。あー、涼宮ハルヒで言うところの野球場のくだりのあの感覚だ。あれをポジティブにとらえて、うまいこと自我の認識というものをゲットするコペル君。でも話はそれに留まらない。叔父さんの示唆によって、その感覚が学問的考察にとっても重要なことを知る。例えば、自分の家にある粉ミルクはどこどこで生産されてどこどこの流通に乗ってうちに来たのだ、といえば生産関係という経済学の基礎になるし、自分の手元で落下した林檎を、じゃあこれをどんどん高いところに上げても落ちてくるのかな、月の高さまで上げたら?ということを考えるとさあこれがニュートンだ、と。
んーでまあ、そういう精神的な成長を遂げていくに従って、コペル君たら道徳的にも立派な人間に成長していくのね。家が貧しくていじめられている同級生を助ける友人に感動したりとか。いーい話ですね。するとさあ、天邪鬼な俺としては「おーおーおーずいぶん大上段からおいでなすったな!」と思うわけ。だってさあ、その家が貧しい浦川君に対して、その叔父さんたら

浦川君のような人は、まわりの人が寛大な目で見てあげなくてはいけないんだ。

だよ。いやまあ、切り出して引用するから嫌な発言に見えるんであって、文脈で見ればおかしくはないんだけどさ。
んー、小学生から中学生まで見境なくこの本を渡して絨毯爆撃してみれば、何人かは変に化学反応起こして道徳的に素晴らしい人間が出来上がるのかもしれないね、という感じ。でも東大教官が新入生に勧める100冊だかには入ってるんだよね。ゆとりなめられてんぞー。

君たちはどう生きるか (岩波文庫)