マックス・ウェーバー 『職業としての学問』

薄い本だけど内容はやたらあったな。何度も振り落とされそうになったけど。講演録だそうだけど、これを講演で生で聞くってかなりレベル高いような。教師が自分の価値判断を事実と混同して語ってはいけない、学生の方も今は(第一次世界大戦敗戦後のドイツという状況下で)価値判断なども委ねてしまえる様な指導者を求めているみたいだけどそれ違うかんな、みたいな話のところはなんとなくわかったけど、なんか全然わかってないな。そのうち読み返すかも。

ところが、一般に学問的研究はさらにこういうことをも前提する。それから出てくる結果がなにか「知るに値する」という意味で重要な事柄である、という前提がそれである。そして明らかにこの前提こそわれわれの全問題はひそんでいるのである。なぜなら、ある研究の成果が重要であるかどうかは、学問上の手段によっては論証しえないからである。

このあたり、最近の俺は何かあるとニヒリズムの文脈からの科学、科学それ自体の無目的化、いわゆるサイエンティズムということに繋げて考えてしまうんだけど、今回もなんとなくそっちの文脈で読もうとしてしまったなあ。その文脈でトルストイが挙げられてたけど、去年だったか『人生論』読んで腹立てちゃったんだよな。その頃blogやってなかったから具体的に何考えたかはわかんないけど、もっかい読み直してみようかな。それと足して、個人としての学者も、いずれは乗り越えられてしまうことが運命として定められている故の目的の喪失なんて観点もありそう。考えを練ってないからよくわからないけど。

職業としての学問 (岩波文庫)