益富地学会館を見学してきた

金曜の夜かな。家の近くに益富地学会館、別名「石ふしぎ博物館」って施設があることを知りまして。これは行かねばならんと思い立ったが吉日生活。なんてったって自称「ふしぎ」ですよ。「ふしぎ」全開自己主張。もう世の中ふしぎが全てを司るね。何かに大して「あれ、これふしぎだな」って着眼し意識を向けることによって世界観は成り立っていくのです。逆に言えば一切のことをふしぎに思わなければそれはそれで何もないまま生きてはいけるんだけど、ふしぎから学問が生まれ文化が生まれるのです。「どうして林檎は地面に落ちるんだろう?」から物理が生まれ「この野花が内にたたえるモノはなんだろう?」から芸術が生まれるんです。「どうして街ゆく人々はすれ違う僕の顔を見てクスクス笑うんだろう?」というのは、ふしぎに思わずに伏し目がちのままiPodの音で耳を塞いでさえいればどうにか生きていけるよ、というcmizunaさん直伝の生きるコツですがね。

そして昼頃に自転車を走らせてですね、調べておいた住所に着いてみると、うーん、一般的な博物館よりは小さい普通の3階建ての建物の看板に「益富地学会館」って書いてあるわけ。博物館ってよりは町の集会所みたいな外観なわけ。そこに自転車で乗り付けると、うーん、「昼飯ができたからばーちゃんを集会所まで迎えに行ってきて」な感じですよ。そんな感じの建物に、入り口でスリッパに履き替えて3階の展示場まで上っていくんだけど、もうその階段の踊り場からなにから既に所狭しと岩石が並びまくりなわけ。京都の観光地の石碑の写真が貼ってあって「このようにこの石碑は〜岩であることがわかる」っていうキャプションが付いてたりするわけ。うーん、この玄人向けの雰囲気、俺場違いか? と思ったんだけど、いざ3階の展示場に着いてみるとそんなこともないという感じ。決して広くないところなんだけど、手書きのキャプションがついた鉱石、そして化石なんかがめっちゃ並んでる。キャプションを立てておく支えすら、岩石に切り込みを入れて立たせるものだったりする。

つまりさ、有機体であるところのの化石と、無機物である鉱物を敢えて同列に並べることで、生命とは何か?ということに思いを巡らせざるをえない、なんてこともなく、ボクとしては「アメジストって素っ敵ー」「アンモナイトって可っ愛いー」「昔の鮫ってでかすぎだろ」「方解石このやろ、2年前にレポートで問題に出てきやがって」と結構普通に楽しめる。めのう石の同心円状の模様とBZ反応系との類推? 粉粒体の物理学を専門でやってる人間からの視点? そんなのはどうでもいいんです。目の前に恐竜の糞があり磁鉄鉱があり緑青があるんだから。そう、岩石を目の前にした僕等はみんな等しくガイガーカウンターとならざるを得ないんだ(またそうやって後先考えずに適当な言葉を)。

結局2時間弱くらい居たのかな。ボクには別に話しかけられなかったけど(俺の神々しい雰囲気に恐れをなしたんだと思うよ)、職員の人はなんか俺が入ってから出るまでずっと他の見学者と雑談してたりするし、キャプションはかなり一般人向けだし。そして意外とちょくちょく人は来るね。研究者っぽい人やら美術関係の人も来るみたい。「向こう側」の熱意はめちゃめちゃ伝わってくる構成だから、こっちがなんでもいいからモチベーションを持って行けば面白いと思うよ。